第10回 いよいよ平安時代だぞ~

 

平安時代は何年からですか?

 

「鳴くよ うぐいす 平安京」 誰もがこれで覚える年号だよね。794年です。次の鎌倉時代の始まりが「いいくに作ろう 鎌倉幕府」だから、1192年までの約400年間もの長い期間を平安時代といいます。(鎌倉が140年、室町が230年、江戸が260年です)

 

平安時代を一言でいうと、貴族と天皇の時代。そして、本格的な仏教の時代。かな?

日本独特の文化が発達した時代でもありますね。(三言じゃないか!!)

 

最初の頃は、奈良時代から続いた、天皇中心の律令政治。そのうちに藤原氏なんていう貴族が力を持っちゃって、摂関政治に。そして、それに反発して、院政。最後には武士がでてきたよ。この流れを覚えようね。     天皇→摂関政治→院政→平清盛

 

平安京(京都)に都を移したのは、桓武天皇でした。このあと、明治になるまで、天皇はこの京都の地にず~っと居たのです。平城京より大きかったけれど、作り方は同じ。碁盤の目のように道が通っています。唐の都「長安」をマネしたんだよね。今も京都の町は同じままです。(京都の住所はおもしろいよ。調べてごらん!)

 

さて、平安時代でまず出てくる人は、「坂上田村麻呂」。征夷大将軍に任命されて、蝦夷を討った人。蝦夷とは、諸説あるが、どうも大和政権の反対派と思っていたほうがわかりやすそうだ。その頃、まだ、天皇の力が東北地方に及んでいなかったようで、そこを制圧しにいったのが坂上田村麻呂だった。(鎌倉時代以降は、「征夷大将軍」という名前を天皇からもらうと、幕府が開けたようです。)

 

次にでてくるのが、最澄と空海。遣唐使と一緒に中国に渡り、仏教を勉強してきて、日本で天台宗と真言宗を広めた僧侶ですね。ふたりは、一緒に中国へ渡ったが、最澄が早く帰ってきました。空海は、中国の奥地へはいり、密教を勉強してきたみたい。それで、最澄と空海は仲が悪かったとかという話もあるのです。とにかく3点セットで覚えましょう。「最澄・天台宗・比叡山延暦寺」と、「空海・真言宗・高野山金剛峰寺」。(仏教の宗派を覚えるのは、この2つと、鎌倉仏教の6つだけです)

 

余談だけど、比叡山延暦寺のほうは、後に力を持って、政治に口出しをするようになり、織田信長の焼き討ちにあいます。「空海」は「弘法」と同一人物。「弘法にも筆のあやまり」なんて言われるほど達筆だった。また、地方には、弘法大師が杖をついたら温泉がでてきた、なんて言い伝えも残るミステリアスな人です。今でも、高野山のどこかに即身仏となって埋まっているといわれ、毎日、空海に食事を用意しているほどですよ。

ということで、今日はここまで。次回は、藤原氏の摂関政治で~す。

 

☆☆ 今回の目標  律令→摂関→院政→武士 を覚えよう ☆☆