第33回 本当に民主化?

 

 明治になり、天皇中心国家が復活しましたが、平安の頃の天皇政権とは、かけ離れたものになりました。なぜなら、外国が民主化(市民革命)していましたし、日本国内では、一般民衆の中に資産家が誕生していたからです。天皇が直接政治を行うには、他に力のある人がたくさんいすぎましたね。薩摩・長州の倒幕派が中心になって中央集権国家を作ろうとしますが、板垣退助らが憲法に基づく議会政治を要求し始めます。自由民権運動でしたね。

 

 民撰議院設立の建白書 → 立志社 → 国会開設運動 → 国会開設の勅諭

 

 → 自由党など政党結成 → 内閣制度・伊藤博文初代総理大臣 → 大日本帝国憲法

 

 → 衆議院議員選挙 → 第一回帝国議会

 

というように民主化は進んでいきます。

 

 しかし、一方では主権を天皇におきましたので、一般民衆の声は、今のように政治に反映されませんでした。「第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス。第二条 天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」と始まるのが「大日本帝国憲法」です。このように天皇の権限が強く、民衆代表の衆議院があったとはいえ、天皇が帝国議会に及ぼした影響は大きかったようです。今の国会とはほど遠いですね。

 

 また、刑法や民法、商法ができたのも、この頃です。これらも、かなり統治する者に有利だったり、封建的な考えのものだったりしました。(現在のものは、これらの法律を社会の変化にあわせて改正したものですが、基本はこの明治に制定されたものです。)

 

 要するに、明治にはいり、西洋の民主化の思想が入り込んで、憲法ができたり議会が開催されたり、表向きは「民主化」が進んだようにみえますが、根本的にはまだまだ形式だけで、西洋のような「市民革命」にはとても及ばないものだったのではないかと、私は考えます。

  次回は、ちょっと複雑になりますが、中国や朝鮮など外国との関係を話します。

 

自由民権運動を進めた板垣退助は、お札にもなりました。

 

  ☆☆ 帝国議会開催までの過程を覚えよう ☆☆