第35回 朝鮮との関係

 

今回は、朝鮮との関係です。

 

  1876年     日朝修好条規

  1894年     甲午農民戦争

  1894~95年  日清戦争・下関条約

  1904~05年  日露戦争・ポーツマス条約

  1905年     韓国統監府

  1910年     韓国併合・朝鮮総督府                朝鮮総督府

 

 「朝鮮」も、日本や中国と同様に「鎖国」政策をとっていました。そんな朝鮮を武力で開国させようという「征韓論」なんて考えも日本国内ではでていましたが、実現されませんでした。しかし、その直後の1875年、日本の軍艦が朝鮮の領海を侵し、朝鮮に砲撃されるという事件がおきました。「江華島事件」です。これをきっかけに、日本は朝鮮に日朝修好条規を結ばせます。朝鮮は清の属国ではなく、独立した国だと認め、釜山など3港を開港させます。と、ここまではよかったのですが、「日本だけ領事裁判権を認め、日本の商品には関税をかけない」とまで約束させてしまいます。完全な「不平等条約」ですよね。同じ「修好条規」でも、中国のものとは雲泥の差でした。

 

 そして、1894年の甲午農民戦争。私たちの頃は、「東学党の乱」と教科書に書かれていましたが、キリスト教に対抗する宗教団体である「東学党」を中心に、農民たちが「外国人排斥、雑税の廃止など」を訴えて反乱を起こします。それが、朝鮮全域に広がったものですから、朝鮮政府は中国に助けを求めたのです。その結果が日清戦争でしたね。

 

 下関条約の中で、朝鮮の独立は認められ、1897年に「大韓帝国」という国の名前をつけます。しかしその後、日本の支配は強まり、ポーツマス条約でロシアに朝鮮での優越権を認められた日本は、韓国総督府という役所を、今のソウルにおきました。初代総監は「伊藤博文」。(伊藤博文は、1909年に韓国人によって暗殺されます) 

 

 こうして、日本は、韓国の植民地化をすすめ、1910年に韓国を併合します。それにより、「韓国総監府」を「朝鮮総督府」に改め、昭和20年太平洋戦争が終わるまで、日本の韓国支配は続くのです。

 

 日本の韓国支配は、今でも問題を残しています。日本語を話すこと、選挙権はなし、

厳しい徴税・・・など、朝鮮の人々に対する差別がなされてしまいました。今もなお、朝鮮の人々の中に反日感情があるのも、この韓国支配があったからなのです。このことは、日本人にとって忘れたい嫌な歴史なのかもしれませんが、実際にあったことなのですから、目をそむけてはいけないと思います。

 

 以上のように、朝鮮と日本の関係は、日本が朝鮮を支配するという形で、太平洋戦争終結まで続いていってしまいました。

 

☆☆ 嫌なことでも事実は事実。しっかり受け止めよう ☆☆