第41回 時は大正時代 

 

 1912年7月30日に明治天皇が60歳で亡くなられます。代わって、33歳の皇太子が天皇の座に着きます。大正天皇です。こうして幕を開けた大正時代は、大正天皇が亡くなられる1926年までの14年と半年、続きました。明治が約45年ですから、大正時代は短かったですね。しかしこの短い間に、日本も世界も、大きく動いていきます。

 

 1914年  第一次世界大戦  
  1915年  21か条の要求
 1918年  米騒動
  1919年  3.1独立運動(朝鮮)  5.4運動(中国)
 1920年  国際連盟成立
 1923年  関東大震災
 1922年  ソビエト社会主義共和国連邦成立
 1925年  治安維持法

 

日本と世界の出来事がごちゃ混ぜですが、こういった年表が書けます。

 

 日本は、日清・日露戦争に勝ち、日英同盟を結び、不平等条約も改正し、西欧諸国と対等な国になっていました。世界的には、あちらこちらで西欧諸国の勢力争いが行われ、西欧諸国が世界を分割していました。ドイツ・イタリア・オーストリアが三国同盟を結び、イギリス・フランス・ロシアの三国協商と対立。今にも戦争がおこりそうな状態でした。

 

 1914年6月、オーストリアの皇太子がサラエボで暗殺され、それがきっかけとなって、とうとう第一次世界大戦が始まります。戦場はヨーロッパ。多くの国が参戦し、戦車や飛行機を使った新しい戦争でした。当然、西欧諸国の目は東アジアから遠ざかっていったのです。

 

 そこをチャンスとばかりに動き出したのが、日本。中国に対し21か条の要求をつきつけます。日英同盟を盾に、中国におけるドイツの権利を渡せと要求したのです。
このように、日本は第一次世界大戦に参戦したとはいえ、ヨーロッパに出向いて行って戦争したわけではありません。しかし、戦場となった西欧諸国やそれらの国々が輸出していた国への物資の輸出で経済も活気づいたり、手薄になった中国への進出など第一次世界大戦が日本の体制に大きく影響したのは確かです。

 

 「21か条の要求」をつきつけられた中国では、当然のごとく反対運動が起こりました。五・四運動です。また、日本に支配されていた朝鮮でも反日運動が起こっていました。三・一独立運動です。この2つの民族運動は同じ時期に起きて、名前も似ていますので混乱しがちですが、朝鮮のほうが先に起きていますので、それをキーに覚えてください。朝鮮が3月1日に始まり、中国が5月4日に始まりました。
 
 この第一次世界大戦中に、歴史的に重要な革命が起こりました。いよいよ社会主義国の誕生です。続きは次回・・・。


☆☆ 中国と朝鮮、日本の関係を把握しよう ☆☆