第23回 徳川の5人の将軍たち  

 

歴代の徳川家の将軍の中で、特に覚えておきたい5人を挙げます。
 初代 家康   3代 家光   5代 綱吉   8代 吉宗   15代 慶喜
この5人について知れば、江戸時代の流れは、おおむねつかめます。細かいことは後日にしますが、重要な事柄だけを並べて、江戸時代の流れを説明しますね。

 

 初代 家康、3代 家光。この2人は、前回話したように、江戸幕府の基礎を作り上げた人たちです。武家諸法度、慶安の御触書、鎖国。「士農工商」の身分をはっきりさせ、「武家諸法度」で大名を統制し、「慶安の御触書」で農民を抑え、「鎖国」によってキリスト教と外国との交流を禁止して、国民の目を国内だけに向けさせました。こうして幕府以外の大名たちは、財力を蓄えることが難しくなり、反乱を起こしたくても、それだけの資金がない状態に置かれたのです。また、農民は、農業に専念させられ、年貢をしっかり取り立てられました。

 

 次に5代将軍綱吉ですが、「犬公方」と呼ばれるほど変わった人物だったようです。「生類憐みの令」をだしたりしましたが、「朱子学」を幕府の学問にするなど、武力で治める政治ではなく、儒学を元にした脱武力の政治(文治政治)を行った人でもあります。

 

 しかし、「綱吉」の時代で覚えておいて欲しいのは、元禄文化です。大坂で栄えた「町人の文化」です。町人といっても、担い手は、豪商たちです。そう、金持ちの商人。ということは、この頃財力を蓄えていたのは、大名ではなく商人たちだということです。思い出してください。室町時代に、「勘合貿易」が、博多や堺の商人の手に移っていったことを。室町の頃から、商人などの民衆が力をつけだしたのでしたよね。こういった人たちが、戦乱のない平和な世の中になると、いろいろな「遊び」、つまり娯楽を求めるようになります。そこから生まれたのが、「元禄文化」です。人形浄瑠璃、浮世草子、歌舞伎、浮世絵など、すべてが、貴族ではなく一般民衆が楽しめるものです。余談ですが、四十七士が、殿様のかたきを討ったという、あの「忠臣蔵」は、この時代の頃の実話ですよ。

 

 さて、8代将軍「吉宗」は、享保の改革を進めた人ですね。この後、「寛政の改革」「天保の改革」と続きます。何故、改革が必要だったのか。大ききんがきたからです。つまり、「天候が悪くて、お米がとれない」という状態が続くからなのです。「お米がとれない」=「年貢がはいってこない」という式が成り立ちます。そこで、「吉宗」は、国中に質素倹約を要求したのです。武士も、農民も・・・。それだけではありません。吉宗は、江戸の町の改革を行います。目安箱や、公事方御定書です。目安箱に入った民衆の意見から、「小石川養生所」や「町火消し」が作られます。また、「公事方御定書」で裁判の基準が決められます。名奉行の「大岡越前」は、この頃の人です。

 

 だんだんと財政が苦しくなっていく幕府。そんなときに、ペリーの黒船が浦賀沖に姿を現します。刺激される若者たち。強まる「尊皇攘夷」の声。やがてそれは、「倒幕運動」へと変化していきます。そして、迎えた15代将軍「慶喜」による大政奉還。慶喜は、長い江戸幕府に終止符を打った将軍でした。

 

 今回はこれまでですが、江戸時代の歴史の流れが、なんとなくつかめましたか? 次回からは、もっと具体的に話していきましょうね。

 

☆☆ 江戸時代の流れを把握しよう! ☆☆