第26回 民衆が力をつけた日本

 

 室町時代の頃から、商人が財力をつけてきましたが、平和な江戸時代になって、ますます経済が発達します。町で暮らす一般民衆は仕事をして給料をもらい、そのお金で生活します。農村では米を作るかたわら、商品作物(菜種、藍、紅花、麻など)を栽培して各地の特産品を作り、お金を手に入れます。

 

 江戸時代には、耕作のための道具が良いものに変わり、生産力もアップしました。備中ぐわ、千歯こき、唐箕などです。また、幕府や藩や裕福な商人によって大規模な新田開発が行われ、耕地面積がぐんと増えました。干鰯や油かすなどの肥料も出回りましたし、養蚕業も盛んになりました。

 

 五街道も整備され、商品の流通も盛んになり、大阪には、各藩の蔵屋敷が立ち並んで、天下の台所と呼ばれるくらい、全国各地からお米や特産物が集まり売買されました。北海道などの遠いところからも、西廻り航路と東廻り航路、菱垣廻船などの海上輸送を使って、品物が運ばれてきます。今日の京都で「にしんの昆布巻き」とか「おぼろ昆布」とか、北海道でとれた昆布を商品にしたものが名産品になっているのも、江戸時代に海上輸送が発達した結果です。


 こうして、まずは、大阪の商人たちが活気づいてきます。その財力があったから、5代将軍綱吉の時代に栄えた元禄文化は、大阪で始まったのです。文化については、後日話します。

 

 第二次世界大戦が終わって、財閥が解体されました。このときの財閥には、四大財閥といって、「三井」「三菱」「住友」「安田」があります。このうち、「三井」と「住友」は、江戸時代の両替商が大きくなったものでした。室町時代には、「酒屋」や「土倉」が金貸し業を営んでいましたが、「両替商」もそれに似ています。金・銀・銭の交換を行う商人で、今の銀行のような働き(預金・貸付)もしていました。「両替商」や「問屋」「札差」などの商人が成長していきます。同業者組合もできました。株仲間でしたよね。新しく商売を始めようとする人を拒み、特権をもち、商品の販売先や価格などを操作します。株仲間から、幕府に納めるお金が増えていきますので、幕府も認めていました。しかし、物価がどんどん上がってしまうため、「水野忠邦」は株仲間の解散を命じます。「天保の改革」の政策のひとつでした。

 

  と、まあ、こんなふうに力を持った大商人が現れるほど、経済社会が発達したのが江戸時代なのだと、感じ取ってください。貨幣経済の発達で、貧富の差が激しくなっていきますが、同時に、文化も発達していきます。

 

☆☆ お金がメインの時代にアップしたことを感じ取ろう ☆☆