第32回 明治のできごと まとめ 

 

明治にはいると、やたらごちゃごちゃと、いろいろな事柄や事件がおこります。江戸時代がすっきりしていただけに、明治のこのごちゃごちゃが覚えられないでいる人が多いのではないでしょうか。まとめておきましょうね。

 

   1868年 五箇条の御誓文
           前回説明した、明治維新がすすめられます。
   1874年 民撰議院設立の建白書
   1876年 日朝修好条規
   1877年 西南戦争
   1881年 国会開設の勅諭
   1885年 内閣制度
   1889年 大日本帝国憲法
   1890年 第一回帝国議会
   1894年 領事裁判権撤廃   日清戦争
   1902年 日英同盟
   1904年 日露戦争
   1910年 韓国併合
   1911年 関税自主権獲得

 

 さて、ずらっと年表のように並べてみましたが、これで明治時代の世の中の動きがわかると思います。

 

 江戸から明治になった当初は、西洋の文化や政治のしくみを見習おうと必死でした。

 欧米の思想もはいってきて、民主化の主張がなされます。自由民権運動です。


明治政府としては、それを無視することはできませんでした。そこで、「国会を開くよ~」と宣言し(国会開設の勅諭)、自由党や立憲改進党といった政党を作らせ、選挙によって衆議院議員を選び、内閣を作り、憲法も作って、衆議院・貴族院の二院制の帝国議会が開かれました。やっと政治の体制が整ったのです。

 

 日本国としての政府が動き出すと、今度は、外国との関係です。まずは、お隣の国「朝鮮」を開国(朝鮮も鎖国をしていました)させようとします。この頃、不満をもった士族(元武士)が各地で反乱をおこしますが、その士族たちのエネルギーを朝鮮に向けようとしたのが、「西郷隆盛」らの征韓論でした。しかし、その主張は通らず、西郷隆盛は九州で不満士族たちとともに反乱をおこしたのです。それが西南戦争です。

 

 「朝鮮」をめぐっては、日本ばかりでなく、「中国」と「ロシア」が狙っていました。その結果が日清戦争と日露戦争です。詳細は後で説明しますが、2つの戦争に勝った日本は、外国諸国にその存在を認められます。それで、江戸末期に結んだ「不平等条約」を改正することができたのです。

 

 私は思うのですが、日本は開国後、欧米諸国の植民地になってもおかしくなかったと思います。しかし、そうならないで対等の立場に立てたことは、奇跡ではないかと考えるのです。何故なのか。開国当時の日本が、野蛮な国ではなかったからではないでしょうか。鎖国はしていましたが、欧米の学問は入り込んでいました。また、それを研究する学者もいました。医学だけみても、解剖をしたり、麻酔薬を作ったり・・・あの「解体新書」ってすごいと思いませんか。だって、オランダ語-日本語の辞典もままならない時代にですよ、翻訳してしまったのですよ。「この言葉は、日本語では何を表しているのかな?」実際に解剖してみて、「これか?」・・・気の遠くなるような話です。日本人の勤勉さゆえに成功したのでしょうかね。

 

 明治時代は、「統治の新体制の確立」「欧米化」「自由民権運動」「日清・日露戦争」「朝鮮への進出」「不平等条約の改正」と進んでいった時代だったのではないでしょうか。